1万円の価値って
推しの新しい仕事が発表されました。
また舞台に出演されるとのこと。めでたい!
オンラインの何やってんだかわからないお仕事に比べたらちゃんと板の上に立ってくれることのなんと喜ばしいことか!
と思っていた私でしたが…
突然なんですけど皆さん1万円あったら何したいと思いますか?
私はサーマクール受けたいなあ。ちょうど1万円くらいで当てられるんですよ。
サーマクールは肌だけじゃなく骨の老化も予防してくれるらしくてめっちゃ当てたいんです。
それか、下地と合わせてポーラのマーブル柄のファンデーション買おうかなあ。
スナイデルで春夏のワンピースも買いたい。
家で料理することが増えたし、フライパンのテフロンが剥げてきてるからティファールの9点セットも買いたいなあ。
1万円、って言葉にすると本当にいくらでもやりたいこと欲しいものって思い浮かんできますよね。
それを一瞬で無に帰す存在、そうそれが推しの舞台です。
私は自分の身近でのコロナの大きな弊害の一つがチケットの値上げだと思っているんですよね。
もちろん座席の間引きや、これまで通りの観客動員を見込めないから、勢い一席当たりのチケット代が高くなるのは致し方ないとは思うんです。
でもそれと自分の経済力はまた別の話です。
エンタメ業界が過酷な状況にあることはわかりますが、こちらもない袖は振れないわけで…。
まあ、ない袖は振れないっていうのは誤りですね。
無理すれば振れるんですよ。いくらのチケット代だったとしたって。
先述した楽しみを全てそぎ落として、日々の食事を切り詰めて、外食も外出もしないようにすればチケット代はいくらでも捻出することはできます。
でもそれが果たして払えている、人として生きている、って言えるのか自分で疑問です。
そもそもエンターテイメント、観劇っていうのは余暇の過ごし方の一つであって、
余剰な時間やお金を使って楽しむものですよね。
余暇のために日常生活を圧迫させるなんて、本来本末転倒なわけで…オタクはみんなそれをわかっているわけで…
でもみんなそうとわかっていても食うものも食わずにチケットを買ってしまうのがオタクの悲しい性。
私もこれまでそうして過ごしてきました。
でも、それができていたのってチケット代の平均が5000~7000円くらいまでの舞台だったからなんじゃないかと思い始めました。
1公演が額面7000円くらいまでだったとしたら、「月に何回かの楽しみだし」ってほぼ脳死でチケット集めてしまっていたんですけど
あの頼りない小さな紙切れ1枚が1万円って言われると、突然重みを感じます。
2~3時間くらいの出来事に1万円を払うんだ…?と。
実は先だっても1席1万円の舞台に行ってきたんですね。
若手俳優大集合系の舞台で、質としては拘って作られたのが伝わるような作品でした。
見せ場も様々にあったし、ストーリーも面白かった。
その上で感じたのが
「けして1公演1万円相当の舞台ではない」というものでした。
チケットの代金って、演者さんの力量だけでは測れないと思うんですね。
脚本演出はもとより、音響や舞台装置、抑えている劇場も含めてのチケット代だと思うんです。
それらを総合的に判断して、私の素人目から見て
若手俳優が大勢キャスティングされるような舞台で、1万円相当だと納得できる作品があるとはあまり思えていません。
こうした考えが浮かんできたきっかけに、最近友人が誘ってくれたことをきっかけに某歌劇団の舞台を観劇したことがあります。
私が中高生だったころに母に連れられて足を運んだ場所でしたが、大人になって踏み入れてみると世間と隔絶された別世界でした。
お芝居も繊細華麗なミュージカルで、美しい出演者方々がきらびやかな衣装を纏い、生オーケストラで歌い上げ、華やかに舞うという、まさしく夢の世界そのものでした。
そうした作品が1席12500円、1万円で販売されているのを見ると、
「どこの面から切り取っても最高品質を提供されているのだから妥当だよね…」と感じられました。
これまで1万円のチケットを販売するプロジェクトって、錚々たるメンバー、自前の劇場を所有しているだとか、ここならばという名だたる劇場で上演される作品、ブロードウェイ輸入作品や、音響やセットに惜しみなく投資しているなどの舞台が主だったように思うんですね。
それがコロナで席の間引きを機に、そこまでの設備投資をしていない、できないプロジェクトも、結果的に1席1万円の商圏に参入してきたという流れのように見受けています。
これまで高くても1席8000円代くらいがボリュームゾーンだった若手俳優中心の舞台作品と、1万円以上のチケットも売り出す高級な作品とは訴求している層も異なりますし、
価格帯を分散させることで競争しないという向きもあったのではないかとないかと素人目には思います。
比較的安価な舞台は主に若手俳優が主となって構成し、キャリアを積んだ人は徐々に高級な舞台へ、そして最終的には帝国劇場へ…というのが私も知るところですからね。
そうしたステップアップが業界内で認識されているとすれば、
なおさらステップアップの先の高級な舞台と、若手のチャレンジングな舞台がバッティングすることは、本来狙っていたことではないように思います。
しかしこうした情勢ともなれば、いずれのプロジェクトもまずは公演を打つことが先決となり、動員できる人数に限りがあるとなれば、
穴が開いた部分を価格調整で埋めるしかないとなるのも致し方ないと思います。
ですが、冒頭で書いたように、エンタメ業界の置かれた状況を理解することと
それに応じて自分がお金を払えるのかは別の問題です。
先述した1万円の若手俳優の舞台は、層の薄さ、セットの軽さ
何より音響の貧弱さから相当して、けして1万円相当ではないと感じました。
出演されている方々は真摯でしたし、楽しめるように作られた作品でした。
でもやっぱり、そういうことだけで値付けに妥当性を感じられるわけではないなと実感するものでした。
いよいよ次は推しが1席1万円の舞台に出演する番です。
この発表にあたり、私は今回の作品に関してはひとまずチケットの申し込みを見送ることを決めました。
作品のあらすじ、脚本演出、劇場、推しの役、全体のレベル感などを総合して、
確実に1万円支払って不満足を感じるのが明白でした。*1
だったらそのお金でディズニーのチケット買った方がいい*2
1万円で服を買えばいい
そしたら数か月は着れる、物によっては数年は着れるかもしれないし、
家族と焼肉に行ってもいい、そしたらおいしいだけじゃなく思い出にもなるし…。
ホテルでアフタヌーンティーしようが、バリ風のオイルマッサージ受けようが美容院でトリートメント受けようがなんでもいいんですよ。
つまるところ、チケット価格が値上げされたことによって
これまで自分の中で推しと競合になり得なかった様々なものが、推しと比較される対象となり始めています。
推しが一番!推しの為なら少しくらい我慢したって…と思っていましたけど、
やっぱり3時間足らずのことに1万円支払うと思うと、ホテルのデイユースの方がマシだなと思ってしまうようになったんです。
それくらい、裕福ではない私に1万円という金額は重いものでした。
そんな形で私は脱落していくんですけれど、
それでも推しのためなら惜しくはないって高いチケットを購入してくれる人はいるでしょうし、1万円が重たい金額ではない裕福な人もいると思います。
私はそのいずれにも属せなかっただけなので、このこと自体に悲しみは感じていないんですが…
ただ、コロナのワクチン接種などが始まりつつある中で、仮に動員数などの制限が撤廃されたとしても、一度値上げしたものが元の金額に戻るってことはまずないと思うんですよね。
そうなると、私にとって観劇はけして気軽なものではなく、
かなり厳選したものにごくたまに足を運ぶくらいの高尚な趣味となるでしょう。
一つ一つの厳選が難しければ、クオリティが保証されているものだけに行こうとなるかもしれないし…
つまり若手俳優たちのチャレンジングな作品に触れる機会が著しく減るのではないかと予感しています。
私にとっては舞台作品に触れるきっかけが2.5次元ミュージカルを始めとした若い力の集まりである作品群だったので、
それらも中々手の届かない存在になるのだと思うと一抹の寂しさは感じえませんが…。
これも時流、受け入れるしかありません。
一方で、致し方なくにせよ1席1万円という値付けをするからには、
それを提供する側はそれなりの自覚を以て作品作りにあたっていただきたいと願います。
結果的にせよ相当な額をこちらに請求するのですから、こちらにとってもそれなりの期待感が生まれるのは当然かと思います。
運営側としては最終的な採算に着目しがちなものかもしれませんが、
その収益を構成する母数が大きく減っていること=一人一人の負担額が大きくなっていることこそに思いを馳せていただきたいと願います。
できる範囲でゆるくエンタメを観に行くというのも、私にとっての新しい生活様式の一つです。
日々の丁寧な料理、家事、お花を飾ったり、韓国ドラマを観たり、ゲームをしたり、自分のメンテナンスに行き、家族や友達と出かけること*3
それらの中に推しという存在がいてくれること。
これが日常の陽だまりです。
これからも私の生活の彩りの一つであって下さい、推しよ!