このちっぽけな世界から

零細オタクの忘備録

人として「生活する」ということ

コロナ以前・コロナ以降で自分の中で変革があったなあと思う箇所、

それはお金や生活に対する価値観だったと思います。

 

これまでの私は、平日は嫌々働いて、早く週末にならないかなーと思って過ごしていたし、

数ヶ月に1回の現場を楽しみに、現場のない毎日をどうにかやり過ごしているような生活でした。

 

もちろん日々に多少の楽しみや彩りもあるわけなんですけど、そんなの推しを見ることや現場に比べたら全然大した刺激だとは感じられなくて、

現場にいる瞬間こそ生きてるってことだ!と考え、日々を極めて消費的に過ごしていたなあと思います。

 

コロナで自粛が余儀なくされた頃、私はたまたま生活環境が変わったこともあり、日常の生活をどうにかして楽しまなくてはならない、自力で充実させなくてはならない、という環境に置かれました。

 

現場という現場が消え、推しの芸事を見る機会もなくなり、

あれ?今まで私って現場のない時間をどうやって過ごしてたんだっけ?と思い返すと、ほとんど何も思い出せなかったんですよね。

それがものすごく怖かったです。

 

「私って現場のない時間を気絶して生きてるも同然だな…」と愕然としました。

 

楽しみのない生活は無味乾燥で、何のハリもなく、おしゃれをする理由もなく、何も考えないでいれば生きる意味を感じられなくなりそうでした。

そして、自分の中で唯一の楽しみであり、唯一の光であった現場は、いつ足を運べるのか全く見通しが立たない。

今まで口を開けていれば楽しみをポンポン与えてもらえていたけれど、それがいつ戻るのかはわからない。

 

そうだ、こんなにつまらない毎日が嫌で、もっと楽しく生きたい、もっとハリのある生活をしたい、

そう思うのなら与えてもらうことを待っていてはダメだ。

自分で、自分の力で、このつまらない毎日をどうにか楽しくしなくっちゃ!

だって、この生活がいつ終わるかわからないんだから、いつまた推しに楽しませてもらえる時間がやってくるかわからないんだから…

 

わからないものを期待して待つことは辛い、と感じました。

だからこそオタクとして生きるようになってから初めて、

自分の力で自分を楽しませる

ということを意識して生活を送るようになったのです。

 

 

と言っても、私が取り入れたのは本当に些細なことばかりで、生活の彩り…なんて言うのは恥ずかしいくらいのものです。

でも、子供の頃に憧れがあったけど、中々買ってもらえなかったおもちゃを集めてみたり、

それまでほとんど触れたことのなかった実況系のYoutubeを見るようになったり、

原点回帰的に直木賞受賞作を読んでみたり、

スーパーファミコンを購入してレトロゲームに凝ったり、

苦手意識の強かった料理も、いい包丁を購入したり、パイシチューを作ってみたり、お正月には人生初めてのお雑煮を作ってみたり…と、

私という何もできない人間の中では随分大きな改革と言えるようなことがいくつもチャレンジできたなあと、こうして書き表してみて感じます。

 

家で過ごす、ということに投資する

というのも初めて意識して過ごした日々でした。

私は見栄っ張りなので(笑)

これまで服飾費はよそ行き用にばかりかけていたのですが、

家着を新調したり、家具を買い足したり、バスタオルをもっと質のいいものに替えてみたり、

最近では面倒くさくて絶対管理するのは無理!と思っていた加湿器も愛用しています(笑)

 

家を居心地よくするのってこんなに楽しいことなんですね。

よく「丁寧に暮らす」を地で行ってらっしゃる方を見かけると、はー、すごいなあ、こんなにこまごま丁寧に管理していて面倒じゃないのかなあと思って拝見していたのですが、

実際QOLが上がると気持ちが安らかになりますし、

何よりなんでもない日が少し特別に、少しだけキラッと輝くように感じられるんですよね。

 

 

これまで与えてもらうことばかりを期待していた幸せを、少しでも自分の手で作り出せるんだという実感を得られたのは、私にとっては大きなことでした。

 

そして同時に初めて分かったように思います。

一週間は7日あるけど、平日の方が多くて、週末の休みは2日しかないこと

人生にはハレの日はあんまりなくて、ほとんどが何でもない日で構成されていること

 

文章にするまでもなく、本当にごく当たり前のことです。

でも、私が人として以前にオタクとして生きていた時には理解できていなかったんです。

そのほんの少しのハレの日の楽しみがあんまりにも大きすぎて、

つまらない毎日が人生の大部分に横たわっていることを、目に入れることもできなかった。

 

 

今、再び緊急事態宣言という時勢になりつつも、芸術の火を絶やさぬよう働きかけて下さっている方たちが存在しています。

お陰で紆余曲折ありながらも、きっと新しい社会の在り方と共存しながら、舞台やライブという楽しみをまた与えていただけるようになるのだと感じています。

 

再び現場という楽しみをこれまで通りに享受できるようになったら、

私はコロナ以前の自分に戻って現場に通い詰めるだろうか?と考えた時、

恐らくそれはNOであると思いました。

 

これまでの私は人間であることを大切にしていなかった。

人として生きることを疎かにしていました。

 

舞台やライブを観て楽しませていただくことは、本当に人生の中で得難い大きな喜びです。

でもそれは人生の中の喜ばしいスパイスであり、嗜好品であり、

主食ではなく、本章ではなく、メインではない…

 

私は現場以外に息づいている、自分の人生をちゃんとやらなくちゃいけないんだと感じるようになったからだと思います。

 

 

きっとこういうことを明文化するまでもなく、みんな自分の頭の中で理解した上で楽しんでいるのだろうなと思います。

私は気づくのが遅かったですね(^-^;

でも遅かったとしても、ようやく理解し、ちっぽけでもしょうもなくても、自分の手で幸せを作り出せたと感じられたのはとても大きなことだったと感じています。

 

 

そんなわけで、これまでは行ける日程のチケットはなるべく全部買い集めて、

平日ソワレに連日通い、ブロマを何十枚も買って…

という生活は終わりにしようかな、と考えるに至ったのです。

 

一公演につき1~3回観られたらそれでいいかな、と今は思っています。

これまでは自分が観られなかった回で推しの名場面があったらどうしよう!?という恐怖で、可能な限りチケットを集めていましたが(笑)

今はそれも巡り合わせだなあと受け入れられるように思います。

 

平日ソワレを毎日こなして、フラフラになってお風呂に20分で入り、とりあえず起きる!寝不足!死ねる!という生活ももうキツイなあと(笑)

 

ただ、確かに喜ばしい日々でした。

希望に満ちていました。

 

あの頃そうした濃い時間を過ごせたからこそ、私という人間は折り合いがつけられるようになったのかもしれないなあと思っています。

 

 

そんなこんなで元々細いオタクではありましたが、

更に更にコマコマの細細の零細オタクになった私なのでした。

 

これからは人として生活を送りつつ、そのベースの上に「オタクとしての私」を重ねて生きていくような、

そんな生き方をしていけたらなあと思います。*1

 

*1:そんなこと言いつつ現場が増えていきなりタガが外れてたりしたらすみません